史跡

俳人 宝井 其角(榎本 其角・竹下 其角)

〔侃憲、通称源助・八十八。別号、螺舎・麒角・普子・宝晋斉・六蔵庵・渉川・狂雷堂・善哉庵〕

先に書いたように赤穂浪士と縁が深いこの寺、まだ話しは続く。
討ち入りの当日に隣の邸宅にいたこの其角。松尾芭蕉の十人の弟子の中の一人。蕉門十哲と言えば俳句をかじったことのある方なら分かると思うが、高弟の一人。
赤穂浪士との繋がりも多くあり、討ち入り成功を密かに願った一人でもある。
墓地には宝井と呼ばれる井戸の石組みが現在もある。二本榎にあった当時は懇々と水が涌きいでて、井戸から溢れるほどの水量であった。

これは宝井と呼ばれ、二本榎に在った時代には、
こんこんと水が涌き溢れていた井戸です。

宝蔵院流槍使い手 丸橋 忠弥

由井正雪の乱で捕まり、鈴ヶ森で処刑されたが、その人柄に惹かれた弟子達が忠弥を思い母方の名を使い立てたと伝わっております。

石碑銘は石橋麟となっている。

将棋名人家 大橋 宗桂

徳川家に仕え将軍の将棋の相手や、指導をした名人たちである。
その名の通り桂馬の使い方が優れていたために桂の文字が入っている。
墓石も他に見られないような駒の形をしているため門から見れば一目瞭然となる。


蘭学者 桂川 甫周

蘭学といえば当時の西洋医学の粋を集めたものであった。その学者である。やはりこの人も将軍家に使え、御典医として働いていた。
有名な『解体新書』をご存じだと思うが、杉田玄白等と共に書を書いた蘭学界の有名人である。